Feb 20, 2010

地方の病院で医師の求人

地方の病院で医師不足が解消されていません。総合病院でも診療科のいくつかしかないところが多いです。特に外科と産科、小児科医が不足して地域医療に深刻な課題となっています。病院でも医師の求人は、またがっているようですが、なかなか集まらないという現象があるようです。有名な病院は、高い年俸を出せるので、医師求人では主な医師が集まるようです。地域医療の格差は広がるだけです。
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 被災者支援や復興に欠かせない存在となっているボランティア。東日本大震災では事前の準備が奏功し、スムーズな受け入れに成功している例がある一方で、拠点作りや被災者ニーズの調整に手間取るケースも見られる。現状と課題を探った。

 ◇内陸からバスで送迎…岩手

 県外からのボランティアの受け入れは、被災から約4週間の4月8日前後からと遅れた。理由は、津波被害で宿泊場所や移動手段、資材・食料が不足したためだ。現地で態勢を作ると想定されていた市町村や社会福祉協議会の職員が被災、リーダー不在となって対応できなかった面もある。

 現在も状況が大きく改善したわけではない。住宅の汚泥片付けや仮設住宅への引っ越しなどの要望が出始め、多くの人手が必要となっている。県災害ボランティアセンター(VC)などは現地の受け入れ負担を軽くしようと、8日からは盛岡市など内陸都市を出発し、ボランティアを被災地まで運ぶバスを運行するところまでこぎつけた。

 盛岡発のバスは8〜10日で大槌町に入った。8日は大阪からのボランティアも含め70人が床上浸水被害のあった桜木町地区へ。4〜5人に分かれて泥を取り除き、家財道具を運び出した。盛岡市の無職、工藤義之さん(65)は「故郷に恩返ししようと思った」と語った。

 一方、拠点の一つ遠野市では、市社会福祉協議会や地元NPO、神戸市などの県外防災団体が3月28日、「まごころネット」を設けた。地元住民から現地のリーダーを育てるとともに、県外防災団体のネットワークを使って情報を発信。息の長いボランティアの参加につなげるのが狙いだという。【清藤天、苅田伸宏】

 ◇場所の決定は前日夜…宮城

 東京都八王子市の井上己知雄(みちお)さん(69)がボランティアの窓口を探し始めたのは、震災2日後の3月13日。普段は派遣で放課後の児童の面倒を見る仕事をしているが、現地の惨状に衝撃を受け参加を思い立った。しかし、同市や隣の日野市ではボランティアの取りまとめをしていない。途方に暮れていたところ、31日に新聞で都の募集を知った。パソコンでの登録を息子夫婦に手伝ってもらい、東松島市で民家の清掃作業に参加したのは、4月6日のことだ。

 「できるだけのことをしたい」と意気込むが、「もっと早く来たかった」と、行政を仲立ちとしたボランティアに対するもどかしさもにじませた。

 現地入りした都の集団ボランティア第1陣(6〜11日)は63人。大人数が寝泊まりできる場所や食料の確保が最大の壁となった。団長を務める東京大医科学研究所の武藤香織准教授(40)は「遅く見えるかもしれないが、ギリギリのタイミング」と話す。ニーズ情報の集約も難しく、活動場所を告げられるのはいつも前日夜だという。

 需要と供給のミスマッチも課題だ。東松島市のボランティアセンターには、県外から仙台市に来ていた3人から「人数が多すぎて一日何もせず待機していた。そちらに移って活動したい」と直接申し入れがあり、受け入れたという。【加藤隆寛】

 ◇原発事故が活動に影…福島

 福島第1原発の事故が、ボランティアの活動に影を落としている。中心部が原発から半径20〜30キロの屋内退避区域、南部は20キロ以内の避難指示区域に入る南相馬市。地震直後にボランティアセンターが発足したが、屋内退避の影響で募集を一時取りやめた。

 3月末に募集を再開し、今は屋内での作業が中心だが、1日60〜70人がやって来る。宮崎県高千穂町の渡辺正さん(50)は仕事を2週間休んで、2日間かけて車で駆けつけた。「支援が少ないだろうと思った」という。

 ボランティアの中には、被災者もいる。

 「困ったことがあれば何でも言ってくださいね」。安藤正武さん(30)と湊賢一さん(25)は、職場が20キロ圏内で仕事再開のめどが立たない。しかし、南相馬災害ボランティアセンターに登録。支援物資の野菜を抱え、高齢世帯を1軒ずつ訪ね歩いている。

 ボランティアは屋内退避で孤立する高齢者を見つける役割も担う。高齢の母(95)を抱え避難できないという男性(57)は「スーパーも閉まっていて生鮮食品は手に入りにくい。ありがたい」。

 避難生活を送った熊谷義和さん(25)は「県外の人が頑張ってくれているのだから、まず地元が先頭に立つべきだ」と語る。

 県によると、ボランティアの受け入れ数は3月末現在、延べ1万3464人。活動内容は、津波被害の大きかった浜通り地域では避難所や在宅被災者の支援から、住宅の泥の片付けなどに移行しているという。【曽根田和久、種市房子】

 ◇準備奏功、多数受け入れ…石巻

 宮城県石巻市中心部の北側に位置する石巻専修大学。陸上競技場と周辺に多数のテントが設置され、風にはためく。国内外から集まったボランティアの拠点。ボランティアはこの「テント村」から、支援先に向かっている。

 横浜市保土ケ谷区の大学生、藤巻慎さん(20)は、インターネットで石巻市が県外からボランティアを受け入れていることを調べて来た。病院薬剤部での手伝いや孤立する被災者を支援。「また休みを使って来たい」と話す。

 石巻市が多くのボランティアを受け入れているのは大災害の発生を想定して大学側と準備を進めてきたことも大きい。3月30日には連携について協定を結ぶ予定だった。

 その矢先に震災が発生。4日後の3月15日には、市社会福祉協議会が大学内に災害ボランティアセンターを設置できた。大槻英夫・常務理事兼事務局長は「全国の被災地に職員を派遣し、個々人がノウハウを持っていたことも大きい」と語る。

 センターの主な役割は▽ボランティアの受け付け▽ニーズを受けてのマッチング▽ボランティアの派遣−−だ。JR仙台駅から日帰りボランティアを運ぶシャトルバスも運行し、受け入れ態勢を強化。10日までに延べ7609人(NPO、NGO除く)を受け入れた。

 NPO「apバンク」やNGO「ピースボート」のメンバーも「テント村」を拠点に活動。国連世界食糧計画(WFP)も物資の集積場として利用している。内閣官房震災ボランティア連携室は「大規模災害時は拠点確保が重要だ」と話している。【田口雅士】

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Posted at 08:26 in Power | WriteBacks (0) | Edit
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